更新日:2020/7/15
私は、フィビュラノフォビアです。
ラテン語で衣服などにつける留め具を意味する「fibula」に、「-phobia」という接尾辞を付けると、「ボタン恐怖症」という意味になります。
私は物心ついたときからボタンと戦っております。
特に恐怖を感じるのは、衣服から取れかかって糸一本で繋がっているようなボタンや、ボタン単体がテーブルや床に落ちているものを見てしまった時です。
触るなんてもってのほかです。
プライベートではボタンのある服はそうそう着ません。
心の中で叫びながら歯を食いしばって子供に服を着せています。
今これを話している時点で猛烈な嫌悪感が走っております。
実は、「フィビュラノフォビア」という名称を知ったのは、つい先日でした。
高校時代の友人とSNSで話していた際、友人が調べてくれて判明しました。
「フィビュラノフォビアは、75,000人に一人だそうだよ。
あなたはAB型だし、貴重な存在だね。」
と私のアイデンティティを認めてくれたのです。
これは私の同僚の話です。
多様性を尊重するということは、こういうことでもあるのかもしれません。
世の中には様々な恐怖症があります。
そうでない人たちには到底理解できない恐怖症ばかりです。
興味本位で色々詮索し、からかいがちですが、本人は日常生活に支障が出て生きづらく深刻に悩んでいたりします。
恐怖症に対する理解はできなくても、恐怖を持っているその人のことを理解してあげることが大事ですね。
ただ、多様性を受け入れようにも、ボタン恐怖症にまったく共感できませんでした。
そんな私はAB型の片栗粉恐怖症です。
このコラムを書くにあたり、スイーツ好きの同僚に、「何か恐怖症ある?」と尋ねたところ、
「んー、甘いものかな♪」
と答えてきました。
…それは「まんじゅうこわい」的な発想ですね。